旧鐙屋って何なの?

2020年2-3月 春の日本海側の東北を巡る旅

2020.3.2

酒田市公式HP http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/kyuu_abumiya.html

やまがた酒田さんぽHP https://sakata-kankou.com/spot/30131

<目次>

  1. 旧鐙屋の概要
  2. 旧鐙屋とは
  1. 旧鐙屋の概要

・場所 山形県酒田市中町1-14-20 googlemaps https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A7%E9%90%99%E5%B1%8B/@38.915286,139.8349843,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f8e9e5d213b6933:0x4805845e10ee129c!8m2!3d38.915286!4d139.837173

・開館時間 9:00-16:30

・休館日 12月―2月の毎週月曜日(祝祭日は開館し,翌日閉館。3月~11月は無休)

     年末年始(12月29日―1月3日)

・入館料 大人:330円,高校・大学生220円,小中学生:110円

・アクセス 酒田駅から徒歩15分,酒田駅からバス約8分 (庄内交通バス「中町」バス停下車,酒田市福祉乗り合いバス「市役所東」又は「市役所西」バス停下車) 駐車場は,向かいにある酒田市役所の駐車場を利用のこと。

この日の行程  https://wsbgreenblog.com/2020/03/08/15/57/24/

2.旧鐙屋とは

酒田市は,庄内地方の一大都市として有名なのはもちろんですが,庄内米及び山形県名産・紅花を出荷する港町としての性格も併せ持ちます。つまり,東回り航路・西廻り航路の船が酒田港に到着すれば,その品を購入し,その品々を売り捌くということをやっていた人々がおり,彼らのことを廻船問屋と呼んだわけです。その中の1つが鐙屋であったわけです。

現在の酒田港 撮影2020.3.2

鐙屋の店主は本名を池田といったそうですが,最上義光公から鐙屋の号を賜ってからは,鐙屋の号を使っていたそうです。鐙屋は,酒田三十六人衆として,町の運営にも大きな影響を持ったそうです。

酒田三十六人衆の起源は,源氏により奥州藤原氏が滅せられた時に遡ります。奥州藤原氏の3代目当主秀衡(滅亡時の前の代の当主)が妹といわれる人物がその家臣36騎を連れて,最終的に酒田の地に落ちのびたことに起因しているといわれております。それ以来,彼ら,すなわち酒田36人衆が町の運営等にも大きな影響力を持っていたわけです。江戸時代になってもその地位は変わらず,特に鐙屋については,井原西鶴の『日本永代蔵』にも描かれるほどの繁盛ぶりであったといわれております。

江戸時代に使われていたとされる常夜燈 於日和山公園 撮影2020.3.2

現在の鐙屋は,江戸時代の頃の鐙屋が全て残っているわけではありません。火事でなくなってしまったり,平成0年代での復元工事の際,高塀の向こう側をカットしてしまっていたりするようです。

3.鐙屋の見どころ

ここから先は,受付の方に教えて頂いたことやビデオの内容を踏まえながら,箇条書きで見どころをお伝えしていこうと思います。

・石置杉皮葺屋根

 これは,杉皮で葺いた屋根の上に石を置いたものです。このような屋根が採用しているのは,酒田が海沿いで風が強く,杉皮葺屋根では屋根が飛んでいくということが多いようです。ただ,どうしてもこうした屋根を採用しなければいけなかったのは,身分制のようです。江戸時代においては,瓦屋根は武士の屋敷においてのみ認められていたからだそうです。

石置杉皮葺屋根 撮影2020.3.2

 しかし,酒田においては,本間家という旧家がありました。本間家は,酒田の町衆の中でも群を抜いて経済力・影響力があったようで,苗字帯刀が許されていたようです。武士との交渉もできるほどの身分を持っていたそうです。本間家屋敷は瓦屋根です。

本間家旧屋敷 http://hommake.sakura.ne.jp/

本間家美術館 http://www.homma-museum.or.jp/

・細長い構造―ウナギの寝床

 実際に入ってみるとわかるのですが,鐙屋は非常に細長い構造をしております。現在の鐙屋はかなり広大な敷地(1,836.57㎡)を持っているのであれば,もっと横長の構造にしたほうが,商売をしやすかったのではないかと思います。また,上述した通り,当時の鐙屋は現在よりも広大な土地を有していたわけですから,余計にそう思うのです。これは,関西風の文化が酒田に入っているからです。

 京都においては,ご存じの方も多いと思いますが,間口の広さによって住宅の税金が決められていました。どうしてこのような制度が設計されたのか,調べたところ不明でしたが,このような文化が酒田にも入ってきているのです。それ故,このような構造を鐙屋も採っているようです。

 では,なぜ遠い地域の文化が入っているのか,といえば,それは酒田の地が港町であり,江戸,大坂,九州方面との交易をおこなっていたからです。受付の方曰く,九州,関西方面の言葉が酒田に入ってきて,現在も残っているものもあるようです。具体例は挙げられませんでしたので,詳細は分かりませんが。

旧鐙屋の門 撮影2020.3.2

・茶の間

 鐙屋は,廻船問屋であるというように申し上げましたが,廻船問屋はどのようなことをするのかといえば,酒田に到着した船が持ってきた品々を買い,酒田の地で売るという商売です。この際に,廻船問屋は固定客を掴むために,自らの店に船の船頭等の重役を無料で泊め,また身の回りの世話もしたようです。

 しかし,最終的には,船頭側から廻船問屋が船出をしないローリスクの職業であると非難され,本間家が自ら船を仕立て,自らが船を運航するようになったそうです。

旧本間家屋敷 撮影2020.3.2

・土人形

本間家旧本堤別館 撮影2020.3.2

本間家旧本邸  http://hommake.sakura.ne.jp/  

そんな茶の間に飾ってありましたのは,雛人形(訪れたのが3月2日でした)です。通常の人形は,蝋人形だと思いますが,山形県の庄内地方は土人形だそうです。庄内地方といえば,酒田と鶴岡が二大都市だと思いますが,両方においてかつては土人形を伝統的に造っていたそうです。

 しかし,鶴岡の土人形は衰退し,今土人形は酒田でのみ作られているそうです。

鵜渡川原人形  https://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110010/kogeihin/cate10-09.html

酒田市役所前にある大獅子 撮影2020.3.2

コメント

タイトルとURLをコピーしました