野外博物館 網走監獄

北海道

網走監獄公式HP)https://www.kangoku.jp/

網走監獄 撮影2019.9.3

<目次>

  • 1.概要
  • 2.沿革
  • 3.ブログ

1.概要

住所:北海道網走市字呼人1‐1 google maps: https://www.google.com/maps/place/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%9B%A3%E7%8D%84/@43.9960265,144.2265241,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f6d346b1cc3b181:0xa7d6c8cb14d85eed!8m2!3d43.9960265!4d144.2287128

TEL:0152‐45‐2411

開館時間:8:30‐18:00 5月―9月

    9:00‐17:00 10月―4月

入館料金:大人 1,100円

    大学・高校生 770円

    小中学生 550円

網走駅と網走監獄の地図

アクセス:網走バス 網走駅前から10分程度,網走監獄で下車,すぐ

網走駅 撮影2019.9.2

網走バス(観光施設めぐりPDFを参照) https://www.abashiribus.com/local-bus/stop-times/

※途中,網走刑務所前というバス停がありますが,それはおそらく実際に現役の刑務所ですので,面会に行かれる方など以外,つまり網走監獄に行かれる方は,誤って下車しないように,なさってください。

網走までのアクセス

網走バス(公式HP)女満別空港からのアクセスバス https://www.abashiribus.com/

JR北海道公式HP https://www.jrhokkaido.co.jp/

女満別空港公式HP http://www.mmb-airport.co.jp/

女満別空港までのアクセス

ANA公式HP  https://www.ana.co.jp/

JAL公式HP https://www.jal.co.jp/jp/ja/

Air Do公式HP https://www.airdo.jp/

この日の前日のブログ(旭川→網走の移動あり) https://wsbgreenblog.com/2020/02/19/00/57/14/

この周辺,つまり天都山には,網走監獄の他には,オホーツク流氷博物館や北方民族博物館があります。

オホーツク海流氷館についてのブログ https://wsbgreenblog.com/2020/04/12/14/23/15/

北方民族博物館のブログ https://wsbgreenblog.com/2020/04/14/22/17/31/

オホーツク流氷館 撮影2019.9.3
天都山からの風景 撮影2019.9.3
北方民族博物館 撮影2019.9.3

2. 沿革

この日の行程のブログ https://wsbgreenblog.com/2020/02/19/01/07/20/

網走監獄の沿革を簡単にお伝えしたいと思います。

詳しくは,公式HPをご覧ください。https://www.kangoku.jp/kangoku_hiwa1.html#

時は,明治初期,260年続いた徳川幕府が倒れ,我が国が近代化を始めようとしていた頃の話です。北海道にあっては,14世紀ほどから,十三湊や安藤氏,蠣崎氏(最終的な系譜として松前氏となる)を始めとする道南十二館等のよって交流を持ち,徳川幕府の時代には,松前藩が置かれ,商場知行制から場所請負制への変更により,アイヌたちを虐げていくようになっていきました。また,江戸中期には,間宮林蔵等の蝦夷探検等により,内地にも北海道の存在が知られていました。

しかし,戊辰戦争の時に,旧幕府軍が函館にある五稜郭で抵抗を終えたことから推測される通り,幕府滅亡時に幕府が実質的影響力を持っていたのは渡島半島の南端,つまり松前半島や亀田半島のみであったと考えられます。つまり,それ以東,以北については「日本人」が居住していなかったのです。

とはいえ,ロシアの脅威がある時代において,また一般的な意味で「近代化」されていない北海道を防衛,開発するために,北海道開拓使が設置され,屯田兵制度が導入されたのはご存じであると思われます。

それに関連して,内地の囚人を北海道に送り,そしてその刑罰の執行として,囚人に開発のための労働を行わせることにしました。いわゆる,苦役本分論による派遣です。

そして順次,樺戸集治監(月形町),空知集治監(三笠市),釧路集治監(標茶町)が設置されました。集治館とは,明治時代に設置されていた囚人収容施設で,徒刑,流刑,終身刑等の囚人を収監していた施設です。そして,その後,網走に釧路集治監の分監として網走に囚徒外役所が設置されました。

網走監獄は,そこで使用されていた建物やそこでどのような生活が送られていたのかが展示されています。有名なのは,五翼放射状舎房等でしょうか。

ここに送られた囚人は,苦しい生活を強いられます。今ほど人権意識が確立されていないような時代,かなりぞんざいな扱いがされました。

まず行われたのは,中央道路開削工事です(元々,網走囚徒外役所の設置理由は,この工事であったとされています)。これは,札幌から,旭川,北見を経由し,網走に至る道路の建設工事で,網走監獄(網走囚徒外役所のこと,以下基本的にこの呼称を用います)と空知集治監の囚人が用いられました。

このうち,網走監獄の囚人が工事を行ったのは,旭川―網走間(通称北見道路,国道39号に相当)です。

この工事は,困難を極めます。まずは,地形の問題です。相手は,「未開」の北海道です。そして,網走―旭川間は,途中北見山地を通らなければいけません。このような場所に道路を作るというだけで十分重労働ですが,それに加え食料運搬がうまくいかないこともありました。

山を通るということは,場所は北海道,アイツが出てくる可能性があります。そう,ヒグマです。そのほかにも野生生物の襲来により,山中で命を落とすものもいたそうです。

そればかりか,場所は北海道。冬はあまりにも寒く,工事ができないことから,夏季に昼夜関係なく,行われました。それだけでなく,逃亡防止のために2人1組で鉄の鎖で囚人は縛られており,このこともあり,多くの囚人が死亡しました。正確にいえば,看守に抵抗し,切り殺されたものもいたそうです。彼らは,現場に埋葬されました。その墓は,今日「鎖塚」と呼ばれています。これらの遺骨は,住民や郷土史研究者たちの手によって,発掘され,追悼碑等が建立されました。

このように,囚人によって建設された道路,鉄道等のインフラは数知れません。道路については,囚人道路と呼ばれています。これらだけでなく,北海道の炭鉱や硫黄採取等も囚人の手によって行われました。

しかし,明治27年に国会で追及されたことを機に,廃止されたそうです。とはいえ,このような意味で「目的合理的」な労働はすぐにはなくならず,本州で困窮している労働者を半ば騙したり,外国人を巻き込んだりして,その後も存続します。そして,この労働は,簡易の部屋にぎゅうぎゅう詰めで寝泊まりし,働くという「タコ部屋労働」と呼ばれています。

タコ部屋労働にも使用されたとされる休憩所 撮影2019.9.3

3.ブログ

網走監獄の手前にある橋 撮影2019.9.2

この日の行程のブログ https://wsbgreenblog.com/2020/02/19/01/07/20/

私は,この日朝9:00頃には,網走監獄に到着していました。1番バスに乗車したと思います。バス停は,網走駅から西に少し歩くとすき家があるのですが,その前にバス停があります。網走駅前のバス停は,3つほどバス停があるので,ご自分がどこに行く予定なのか,そこを把握したうえで,自分が利用すべきバス停を確認されることを強くお勧めします。

網走駅前の地図

網走バス バス乗り場情報 https://www.abashiribus.com/local-bus/bus-stop/

想像以上に,網走監獄は広いです。本当に広いです。想像以上でした。イメージとしては,明治村等を考えてもらえばいいと思います。https://www.meijimura.com/

1時間程度で全部見られるだろうと思っていましたが,全然時間が足りませんでした。見る場所が多い,広いというのもその通りですが,それらがとても見応えがあります。だから,

網走監獄の見学時間は,2時間を見たほうがいいと思います!

館内案内図 撮影2019.9.3

バスは,1時間か2時間程度に1本あるので,それに乗車されれば問題ないでしょう。

囚人たちが農作業や名物であった漬物を作るために使用していた道具が,保存されている建物 撮影2019.9.3
牢屋 撮影2019.9.3
舎房の外見 撮影2019.9.3
舎房棟の廊下 撮影2019.9.3
五翼放射状舎房の監視部屋 撮影2019.9.3
懲罰牢 撮影2019.9.3

看守や囚人たちが大切にしてきた楽器や書道等も展示されていました。

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